
2016年09月03日
性善説

一方、その逆とされ性善説に反対して唱えた人間の本性に対する主張を性悪説。
人間とは性善説が正しいのか、性悪説があっているのか、よくでる話である。
生まれたばかりの人間は無垢でよい人であると言う性善説はもっともであると同時に生まれたばかりは何も知らずいい人ではないから、そこからいい人になっていくのだ、という性悪説。
どちらももっともであるがもともといい人か悪い人か、なんてそんな話ではあるが人間そんな簡単にジャンル分けできるモノでもない。
が、例えばプロレス、その昔からあれを見てすべてを信じる人はいい人、まさに性善説に当てはまるような人だろう。
最初から疑いを持たす、そのものを信じて見ることが出来る人が純粋にプロレスを楽しめたはず。
疑いを持ってプロレスを見たら突っ込みどころは満載だから。
そんなプロレスと今同じなのはテレビ。
テレビはそのほとんどがやらせで突っ込みどころ満載のギミックだらけの作り物だ。
中立であると信じていたNHKですらそうで、違う物はスポーツ中継だけではないだろうか。
そのテレビを優しく見ている人は元来からいい人、性善説をそのままの人でなければ受け入れられない、そんな風に思う。
Posted by 洋服番長3 at 06:43│Comments(0)